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最高裁判所第一小法廷 昭和51年(あ)765号 判決 1976年10月28日

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人森山喜六の上告趣意第一点は、憲法三八条三項違反を主張するが、当裁判所大法廷判決(昭和二三年(れ)第一一二号同年七月一四日・刑集二巻八号八七六頁、昭和二三年(れ)第一六七号同年七月一九日・刑集二巻八号九五二頁、昭和二九年(あ)第一〇五六号同三三年五月二八日・刑集一二巻八号一七一八頁)の趣旨に徴すると、共犯者二名以上の自白によって被告人を有罪と認定しても憲法三八条三項に違反しないことが明らかであるから、共犯者三名の自白によって本件の被告人を有罪と認定したことは、違憲ではない。のみならず、原判決がその基礎とした第一審判決の証拠の標目によると、共犯者らの自白のみによって被告人の犯罪事実を認定したものでないことも、明らかである。所論は、これを採用することができない。同弁護人のその余の上告趣意は、単なる法令違反、事実誤認の主張であって、刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。

弁護人内堀正治の上告趣意第二点は、判例違反を主張するが、所論引用の判例は本件とは事案を異にし適切でなく、同第四点は、憲法三一条違反を主張するが、その実質は単なる法令違反、事実誤認の主張であり、その余の上告趣意は、事実誤認、単なる法令違反の主張であって、刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。

よって刑訴法四〇八条により、主文のとおり判決する。

この判決は、弁護人森山喜六の上告趣意第一点に関する裁判官下田武三、同岸盛一、同岸上康夫、同団藤重光の各補足意見があるほか、裁判官全員一致の意見によるものである。

裁判官下田武三の補足意見は、次のとおりである。

わたくしは、当裁判所の昭和四九年(あ)第三二一号同五一年二月一九日第一小法廷判決(刑集三〇巻一号二五頁)に付した意見において、共犯者の自白も憲法三八条三項にいう「本人の自白」に含ましめ、その証明力を制限的に評価することを相当とすべき旨の見解を述べたのであるが、本件の場合には、共犯者が三人おり、その三人が別個、独立に行った自白の内容が一致するというのであるから、その三人の自白は互いに補強し合って強い証明力を有するに至ったものと認めて差し支えなく、したがってこれを証拠として被告人を有罪としても、憲法三八条三項に違反することにはならないものと考えるのである。そして、その理由の詳細については、団藤裁判官の補足意見に同調する。

裁判官岸盛一、同岸上康夫の補足意見は、次のとおりである。

共犯者の自白が憲法三八条三項にいう「本人の自白」に含まれないと解すべきことについては、当裁判所の昭和四九年(あ)第三二一号同五一年二月一九日第一小法廷判決(刑集三〇巻一号二五頁)の多数意見において述べたとおりであって、その見解は今日においても改める必要を認めない。そして、この見解によるときは、被告人の自白がなく、共犯者一名の自白しかない場合であっても、被告人を有罪とすることが許されるのであるから、本件のように、被告人の自白がなく、共犯者二名以上の自白がある場合には、右の共犯者らの自白を証拠として被告人を有罪としても、憲法三八条三項に違反するものでないことは、いうまでもない。

そもそも憲法三八条三項が「本人の自白」を唯一の証拠として有罪とすることを禁止し、補強証拠の存在を必要としているのは、自白の偏重により誤判を招くことを防止する趣旨なのであるから、本人とは独立した共犯者の自白があって、それにより本人の自白の信用性が認められるならば、本人を有罪としても、憲法の趣旨にすこしも反するものではない。共犯者の自白が相互に補強証拠となりうるのは、この意味において、むしろ当然のことなのである。

共犯者の自白のみによって被告人を有罪とすることを認めず、補強証拠の存在を必要としている外国法制もあるが、それは、憲法三八条三項の趣旨とは異なり、共犯者による無実の他人の巻きこみを防止することに主眼があるのであるから、そのような法制のもとでは、たとえ二名以上の共犯者の自白があるときでも、右の危険を排除することのできるような独立の補強証拠がない限り、被告人を有罪とすることが許されないと解するのが、自然な帰結であろう。しかし、右のような法制のもとにおける法理を憲法三八条三項の解釈に持ち込むことは、その本来の趣旨にそわないばかりでなく、自白した共犯者らは相互に自白が補強されて有罪とされるのに、被告人は自白していないため処罰を免れるという不均衡をもたらすことともなり、妥当ではない。われわれが、共犯者の自白は「本人の自白」に含まれないとする従来の当裁判所の判例の立場をとりながら、自由心証主義の合理的な運用により誤りのない事実認定を期するという解釈方法を選ぶのも、このような点を考慮したからにほかならないのである。

裁判官団藤重光の補足意見は、次のとおりである。

わたくしは、当裁判所の昭和四九年(あ)第三二一号同五一年二月一九日第一小法廷判決(刑集三〇巻一号二五頁)におけるわたくしの反対意見の中で述べたとおり、共犯者の自白も憲法三八条三項にいわゆる「本人の自白」に含まれ補強証拠を要すると解する者である。問題は、共犯者の自白が相互に補強証拠となるかどうかである。

おもうに、一人の被告人の場合には、その者の自白がいくつあっても、それらが相互に補強証拠となりうるものでないことは、あまりにも当然である。これに反して、共犯者の自白は、いうまでもなく、各別の主体による別個・独立のものである。二人以上の者の自白が一致するときは、たといそれが共犯者のものであろうとも、誤判の危険はうすらぐことになるから、相互に補強証拠となりうるものといわなければならない。ことに、本人も共犯者もともに自白しているようなばあいには、共犯者の自白が本人の自白を補強するものと考えて、本人を有罪とすることができるものというべきである。ただ、本件のように、本人の自白がないばあいに、共犯者二人以上の自白だけで本人の有罪をみとめてよいかどうかについては、右の見地以外に、さらに他の観点からも考察を加えなければならない。けだし、共犯者の自白に補強証拠を必要とすることは、アメリカ合衆国の諸州の法制にみられるところであるが(たとえば、一九七〇年ニュー・ヨーク州刑訴法六〇・二二条一項参照)、そこでは、二人の共犯者の証言があっても、なお、補強証拠を要するものと解されているからである。しかし、こうした法制の背景には、イギリスにおける同様の実務慣行以来の歴史的な沿革があるのであって、その主眼は、共犯者による誤った他人の巻きこみを防止することに置かれている。だから、このばあいに補強証拠が必要とされるのは、一般のばあいのように罪体についてではなく、被告人と犯罪との結びつきの点についてなのである。このような法制は、それなりに合理性をもつものというべきであろうが、こうした沿革をもたないわが国の法制において、憲法三八条三項の解釈としてそのままの結論を導くことは困難だといわなければならない。わたくしが、共犯者の自白も「本人の自白」に含まれ補強証拠を必要とするものと解するのは、英米法制を参照しながら、可能なかぎりで、これに近い取扱いをわが憲法三八条三項の解釈論にも持ちこもうとする意図をもつものであるが、そこには一定の限界がある(団藤・「共犯者の自白」斉藤金作博士還暦祝賀・現代の共犯理論・昭和三九年・六九三頁以下、ことに七〇一-七〇三頁参照)。わたくしは、二人以上の共犯者の自白は相互に補強し合うものであって、否認している本人をこれによって有罪とすることは、憲法三八条三項に反するものではないと解するのである。

なるほど、所論のいうとおり、検挙された者が自分に有利な扱いをしてもらうために、捜査官の誘導や暗示に迎合して、他の者を渦中に巻きこむような、心にもない供述をする危険がないとはいえないであろう。だからこそ、わたくしは、共犯者の自白も「本人の自白」に含まれると解するのである。しかし、だからといって、共犯者の自白が相互に補強証拠にならないとまでいうのは、行きすぎである。二人以上の共犯者の自白があるばあいにも、所論のいうような事態がないとはいえないが、それは事実認定にあたっての自由心証の問題として、また、極端なばあいには捜査官の違法な誘導等による自白という観点から証拠能力の問題として、解決されるべきことである。

本件では、共犯者三名のほぼ一致した自白があって、これによって被告人の犯罪事実を認めるのに足りるのであり、しかも、共犯者らの自白だけによって被告人の犯罪事実が認定されたのではないのであるから、いずれにしても論旨は理由がないというべきである。わたくしは、多数意見が従来の大法廷判決の趣旨を援用している点には賛成しがたいが、その点を除いては、多数意見に同調する。

(裁判長裁判官 岸上康夫 裁判官 下田武三 裁判官 岸 盛一 裁判官 団藤重光)

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